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Association Franco-Japonais pour Ceremonie du the
Japonais(日本語) Francais

作品紹介Works

【工芸作家】
松林豊斎(朝日焼)

木村英昭(備前焼)

田原崇雄(萩焼)

亀井久彰(高取焼)



朝日焼

皇室や遠州に愛された400年の名窯


朝日焼は茶どころ宇治にて400年お茶の器を作り続けてきた窯元です。その特徴は伝統的なロクロの成形における優美な形。松割木による登り窯の焼成によって得られる、土の中から発色する鹿背(かせ)と呼ばれる模様など、茶人小堀遠州の美意識を受け継ぐものです。また、十四世豊斎は三笠宮妃殿下より、先代十五世豊斎、当代十六世豊斎は高円宮妃殿下より拝領した印を作品に用いるなど、ご皇室とのご縁も深い稀有な窯元です。

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備前焼

備前六姓のひとつ、木村家の窯


備前六姓窯元として知られる木村家の桃溪堂は備前岡山藩主池田家より御細工人として藩の御用を賜って以来、18代にわたって連綿と続く窯です。その長い歴史により、明治以降は皇室との深いかかわりをいただいております。 大正15年(1926)に摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)をはじめ、閑院宮家、高松宮家をはじめとする各宮家からのお買い上げ、また、宮中の御物として献上をされた品々のほか、昭和、平成の御大礼においても、大嘗祭で用いられる祭器の奉製を担うなど、宮内省御用達のご称号と大礼使の御下命を受けました。

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萩焼

萩焼の技術と心を伝え継いだ、藩主毛利家の御用窯


田原家は李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、松本の御用窯を始めた松本ノ介左衛門を始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人、赤川助左衛門を初代として、代々赤川助左衛門を称して藩の御用を勤めて参りました。  幕末、八代喜代蔵の時、縁あって嫡男謙治が田原姓を名乗り、陶兵衛を称することとなりましが、江戸初期以来、陶業一筋に子々孫々に守り伝え、現在に至っております。

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高取焼

黒田藩の御用窯として400年つづく高取の古窯


 16世紀末、茶の湯が確立されて、中国や朝鮮の陶器が重宝され、国焼きの需要も高まり、福岡藩祖・黒田長政も朝鮮から陶工・八山(はちざん)を日本に連れ帰り、士分の厚遇を以て迎えられた八山が現在の福岡県直方市・鷹取山の麓に永満寺宅間窯を開いたのが、高取焼の始まりといわれます。その後、小堀遠州によって好まれ、「綺麗さび」という、従来のわびさびに華麗さを加味した作風をもたらし、茶陶として名高い遠州高取を開花させ、黒田藩の御用窯としての地位を確立します。その後13代味楽は農水省より技術保持者として認定され、14代味楽は福岡市無形文化財工芸技術者に指定されました。当代味楽は2000年に15代を継承し今日に至ります。

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日仏茶道交流会

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